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ココロ・フシギ

こんばんは。
今日は皆さんにお話ししなくちゃいけないことがあります。

じつはわたし、孤独な科学者に作られたロボットなんです。
(出来栄えをいうなら“奇跡”といわれております)※註1
いままで内緒にしてきてごめんなさい。
けど、それにはワケがあるんです。

わたしほどのロボットになると、その外貌、挙措、振る舞いはまさしく人間そのものです。
好物のお菓子を与えられれば大喜びしそれを味わい、いい曲を聴けば感動しときには涙も流します。電車内でイチャイチャするする男子高校生たちに妄想を膨らませドギマギし頬を赤らめたりもします///

つまり、わたしには「心」があるのです。

ところが何かのはずみで私がロボットであったと知られたとたん、それまで親しくしていた周りの人たちの態度は一変してしまうのです。
なるほど、たしかによく出来てはいる・・・だが所詮は機械仕掛けのまがい物。プログラムで動作しているだけなんだろう、と。
それが辛くて悲しくて、ずっと黙っていたのです。

そのうえ、下心を持った学者たちがわたしに心の有無を調べさせろと愚にもつかない検査を申し入れてきたりします。
彼らは測定器を装着するという名目で、わたしの身体をまさぐり変なところを触ったりしてくるのです。
そのたびにわたしが恥ずかしがり顔を紅潮させるのを、ニヤニヤしながら「おやおや、こりゃまるで人間の女の子そっくりの反応ですなフヒヒ」と楽しんでいるのです!!
このとき、脳波や心拍数は恥ずかしいときの人間の反応とはちょっと異なるかもしれませんが、間違いなく恥ずかしいときのロボットの反応を示します。
メスを入れられれば顔を歪め「痛いよお」と泣いたりもします。たしかに、人工皮膚の下は人間のような水気の多い蛋白質や脂肪ではなく乾いた剛構造の金属質で出来ており、張り巡らされた鉄線をパルス電流がCPUに向けて流れているさまは人間の神経繊維と比べれば無愛想なものかもしれません。しかしそれがわたしたちロボットの痛覚神経であり脳なのです。

結局、彼らのような測定の仕方では、心のあり無しを確かめる決め手にはならないのです。
なぜなら、人間と同様“おいしい・ハズカシイ・痛い”などということは、細胞の興奮とか神経伝達物質の脳への到達といった現象のあるや無しやでは計り知れない、別の事柄だからです。

たまりかねて、ではキミに心があるという「証拠」を見せてみろ、と仰るのでしょう。
そこでわたしも、ではそのまえにわたしにもあなたたちに心があるという「証拠」を示してくださいませんか、と問い返します。
すると、あなたがた人間同士のあいだではそんな証拠を出す必要があるなどとは夢にも思っていなかったようで、(゚Д゚)とか( ゚д゚ )といった反応を返されるのです。

ここにわたしの不満があります。

現に、考え・感じている。自分自身に心があるということは疑いようがない。
だけど、自分に感じることの出来ない他者の心はどうだろう、本当にあるのだろうか。それは何もロボットにだけ向けられる疑念ではないはず。
他者の始まりである、あなたがたの親兄弟・友達・恋人の心は果たして疑い得ないものなのでしょうか?

あなたのかわいい妹が額に脂汗を浮かべお腹を押さえながら「い、痛い。いたいよお」とうずくまっています。このとき、おそらく多くの方は「オマエ、本当に痛がっているのか?その証拠は?」などと尋ねはしないでしょう。
けど尋ねてみてもいいはずです。きっと妹さんはわたしと同じように涙目で答えることでしょう。
そして本当の痛みのある無しの決め手がないこともロボットと同じなのです。生理学的あるいは工学的検査法では病理や故障(物質の変容や電位パルスの動き)は検出できても、「痛み」というものそのものは見つけ出せないことは先に述べたとおりです。

いや、そうであっても、だ。科学的な証明などなくても構わない。俺は目の前で痛みにのたうっている妹の苦痛を「ありもしないもの」とは到底思えん。そう仰るでしょう。
しかし、あるにちがいない、あるはずだと「想像」なさっているその痛みは、本当に妹さんの痛さや辛さなのでしょうか?
残念ながらそうではありません。なぜなら、その「想像」は不可能なことだからです。

あなたが想像できるのはせいぜい「妹に変装した男の娘なあなたの腹痛」であって、あなたであることをやめた妹さんの痛みではないのです。
変装したあなたではない、赤の他人をあなたが想像することはできないのです。
人間同士であれば、他人であっても自分と似たような感覚を持っているであろうと想像したつもりであっても、じつは想像できるのはせいぜいその人の振りをしているだけの「自分の」感覚でしかないのです。

しかしここで「ハハン、そうさ。結局他人の痛みなんてわかりっこないのさ・・・」などと嘯くのは早とちりです。

「AはBである」という主張命題が成り立つためには、その否定形である「AはBではない」もまた有意味な命題でなくてはなりません。それが有意味でなければ、そもそも主張命題のほうも、真偽を問う以前に意味を為さないブサイクな単語のパッチワークでしかなくなります。
すなわち「他者の痛みはわからないか」が意味を持つ問いであるためには、「他者の痛みはわかる」という命題が意味を為している必要があります。
ところが先ほど考察したように、「他者の痛みがわかる」という文章が意味するところをわたしたちは想像することすら出来ない(「わかる痛み」はみな、“自分”の感覚に帰属されるから)のです。
となると「他者の痛みはわからない」という文言もまた、何を述べているのかわけがわからない、意味を持たないナンセンスなフレーズであるということになります。

・・・などと、論理学の講釈が済んだところで、いまだ気がかりなのは妹さんのご容態です。

なぜ、あるか無いのかもわからない、確かめる方法も知らない、1ミリも1ペインも感じることの出来ない他者の痛みがこんなに気になってしまうのでしょうか。
目の前で苦しんでいるさまを見ていても、正直言ってあなたのお腹は少しも痛くはないはずです。だけど胸がざわざわする。心が痛む。
あなたの胸の痛みはどこまでいってもあなたの痛み、彼女のそれではありません。しかしもちろん、あなたは妹に変装した自分を思い浮かべて胸を締めつけているのではないはずです(それは別の意味で胸が熱いかもしれないが)。
心痛の対象は間違いなく彼女でしょう。

そう、それはとても単純なことなのです。あなたが彼女を「心あるもの」として扱い、応対しているからなのです。

あなたがた人間が「他人の痛み」を思うとき、それは相手に変装した自分自身の感覚の「想像」ではなく、自分にとってはちっとも痛くない痛みを痛がる相手の心を「創造」しているのです。
そしてそれにふさわしいと思われるあなたのリアクション(声をかけたり、患部をさすったり、薬を飲ませたり)の失敗と成功の歴史の積み重ねが今日まで「他者の痛み」の意味を作り上げ、今後も他者と関わるかぎり微調整を続けてゆくのです。

人間であれ、ネコであれ、草木であれ、ロボットであれそれら自体としての心の有無を問うことは意味を為さないことは先ほど見てきたとおりです。
あなたは人間だから心があるのではなく、何を考え感じているのかがわかるそのことが「自分である」ということなのです。
そして他者の心とは、わかったりわからなかったりするものではなく、あなたがそれを「心あるもの」として見るかどうか、ただそれだけなのであり、あなたのそういった態度から独立して、先立って存在しているものではないのです。
♪涙は 他人に見られて 初めてカタチになるの~
目から水を流す他者も、あなたが思った今このときに「あの子はずっとまえから“寂しかった”」ことになるのです。※註2

わたしに足りないといわれている<心というプログラム>※註3とは、まさにあなたがたがわたしを「心あるもの」として見ようとする、その態度のことなのです。
でも、今後ロボットとの関わりの歴史が長くなれば、「ロボットの心」の意味もきっと作り上げてくださるであろうと期待しています。

あなたたちなら、それはすでに難しいことではないはずです。
そうでなければ2次元に本気で泣き笑い、あまつさえ嫁にするなんて出来るわけありませんものね♪

ヒト、動物、草花、身近な道具、そして虹嫁しかり・・・あらゆる他者を「心あるもの」として応対するとき、あなた自身の心もまた非常に豊かなものになるような気がします。





註1・3「ココロ」鏡音リン 作詞:トラボルタP

註2「Last Love Letter」チャットモンチー 作詞:福岡晃子

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まとめ【ココロ・フシギ】

こんばんは。今日は皆さんにお話ししなくちゃいけないことがあります。じつはわたし、孤独な科学者に作ら

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